恐山いた男の独り言(2)

最近話題になっている本で、曽野綾子さんの「老いの才覚」という本があるよね。いた男も読書お宅だから、早速読んでみたんだけど、背筋がしゃきっと伸びた生き方をしている著者の生き様が良く書かれていると思ったよ。いつまでも元気で、自分の老後の始末は自分で付ける、老人だからといって生産活動をしなくても良いわけではない、自分の生きがいは自分で創造していつまでも気持ちの若さを失わない。などなど参考になることは沢山あるけど、当たり前の事しか書かれていないという気がして、世間の少し気の利いた老人だったら誰でも実践しているような事が「私の」の体験を基に書かれているという感想を持ったんだよね。でもこの本は、最近世間で話題になっているということは、如何に自立した老人が少ないことかもしれないよね。いた男が思うには、曽野綾子さんは、若い時から作家として立ってきた人で、作家っていわば自営業だから、若いときから自活しないと生きていけない世界で年を重ねてきたわけだよね。それに反して、世間の多くのサラリーマンは組織の中で、給料をもらうことで組織に依存した生き方をして来ているわけだから、いきなり頼りにしていた組織を失って一人になった老人としては、組織を離れて年金生活という自営業老人になる準備と心構えが出来ていないという点での生き方が違うだけだと思うんだよね。おそらく多くの自営業の老人達は、「老いの才覚」に書いてある内容なんか当たり前だろうと思って生活していると思うし、自営業の典型としての農家の人達なんか、若い後継者が居なかったりすると70-80まで肉体労働をしている人なんか田舎にはがざらに居るよね。確かに東京周辺の町では退職したサラリーマンが溢れて、デパ地下のフードコートなんかで昼間からボーとお茶している姿を見ることが多いから、そんな人達には受ける本かなというのが感想だね。恐山家のいた子とかいた男なんかは、自分の霊感と口先で生きていかなければ成らない典型的自営業の人達だから、生涯現役、100歳まで生きて、現役最高齢の「いたこ・いたお」を目指しているから、若いからとか老人だからとかいう考え方は全く無いよね。今は、誰しもが健康で、年齢より若い肉体年齢の人が多くなっているから、曽野さんが書いている様な自立した生き方をしている老人が多いと思うよ。

2011年05月07日