恐山いた男の独り言
日本学術会議の候補者任命問題で、某県の県知事の菅総理大臣に対する学歴差別問題とも取れる発言、話題になっているよね。日本学術会議の候補者のうち、6名の任命を拒否したという事実に対して「菅儀偉という人物の教養のレベルが図らずも露呈した。自らの教養の無さが露見しますよと言う人がいなかったのも残念」と発言したというんだよね。これに対して県民からは、賛同約100名、批判約600名の意見が県庁に寄せられたというんだよ。いた男が思うのは、少なくとも県のトップとして行政に関わる人の発言ではないよね。某知事はさらに「菅首相は学問をした人ではない。単位を取るために大学を出たのではないか。彼の教養はどこで作られたのでしょうか」とも発言しているというんだよね。世の中の90%以上の人は、単位を取るために大学へ行っていると、いた男は思うよ。某県知事だって、文系の学部だから、実習も無いから学生時代は何となく大学へ行っていたんだと思うよ。何かのきっかけで学問の道を目指したんだと思うけど、学者になった人が最初から選ばれた人ではないよね。一概に学者(大学教授を含む)と言っても様々だと思うよ。ノーベル賞を取れるのはほんの一部だし、学者だと言っていても、胡散臭い本を書いて注目を集めている人も居るよね。大学の教授といえども様々で、本当に優秀な人も居るけど、論文もろくに書かないで教授になった人も居るからね。以前に聞いた話だと、国立大学の教官をしている人で、学問の自由を主張するあまりに、学者には研究しない自由もあると言っていたのを聞いたことあるもんね。研究者とか学者だと言っても、何かはき違えている部分が多いよね。某県知事も、菅総理大臣が、東大の出身で、博士号を持っていたりしたらあんな発言はしなかったと思うから、自分の学歴を誇るあまりの失言だとしか思えないよね。田中角栄さんだって、学歴が無くても立派な総理大臣になったし、学歴がその人の価値を決めるものではないよね。世の中で学者と言われている人達も、ただの職業として研究職を選んでいるだけで、一般の職業と何ら変わらないよね。研究者だって大工さんだって、同じ職業人なんだから、学者だからと言って、意味の無いプライドなんか持つべきではないよね。